徳川幕府が街道一里毎に塚を築き榎を植えさせ、旅人に里程の目印と涼と憩いの場とさせたと言われています。
上野田の一里塚は、起点の高崎から数えて四里で、ここから見える赤城山は美しいです。
現在の榎は二代目で、昭和初期植えかえたものといわれ、樹下に正徳4年(1714)と万延元年(1860)建立の庚申塔二基が有り、いつからか庚申塚と呼ばれ「庚申塚の雨」は「野田八景」の一つといわれました。
上野田の一里塚は、起点の高崎から数えて四里で、ここから見える赤城山は美しいです。
現在の榎は二代目で、昭和初期植えかえたものといわれ、樹下に正徳4年(1714)と万延元年(1860)建立の庚申塔二基が有り、いつからか庚申塚と呼ばれ「庚申塚の雨」は「野田八景」の一つといわれました。
吉岡町指定史跡(昭和57年12月21日指定)