亮衍上人は、元文3年(1738)華蔵寺に生まれ華蔵寺八世で、修験者であり、国学者でもあります。文化3年(1806)京都で没しました。
国学者であった亮衍は、和漢の知識に秀でていたと共に稀代の蔵書家でもありました。国学者塙保乙一が編纂した『群書類従』の編集に携わったと伝わっています。
また、「大般若経」600巻も刊行し、その活躍が聖護院宮の知るところとなり、実弟光旒(角田無幻)とともに、京都で修験学則の選定などに尽力しました。
国学者であった亮衍は、和漢の知識に秀でていたと共に稀代の蔵書家でもありました。国学者塙保乙一が編纂した『群書類従』の編集に携わったと伝わっています。
また、「大般若経」600巻も刊行し、その活躍が聖護院宮の知るところとなり、実弟光旒(角田無幻)とともに、京都で修験学則の選定などに尽力しました。
吉岡町指定史跡(平成12年11月22日指定)